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第12回 あの頃の僕に、今なら何と声をかけるだろう?

『海外という選択肢 〜テリー野澤の「世界で何かやってみる」話〜』の記事一覧へ

第12回 あの頃の僕に、今なら何と声をかけるだろう?

この連載も、今回で12回目になりました。

第1回では、僕が「勢い」と「逃避」で日本を飛び出した話を書きました。そこから英語のこと、起業のこと、信用のこと、自由のことと、ニュージーランドでの25年を振り返ってきました。

12回でひとつの区切りにしようと思っています。そこで今回は、NZへの渡航を考えていた頃の自分に、今の僕ならなんて声をかけるだろう?ということを考えてみました。

「海外に行きたい」と思うまで

大学を卒業し、新卒で入社した会社では、週に2日徹夜することも珍しくありませんでした。

1989年、昭和天皇の崩御に伴う対応で、スキー場から急遽東京に戻ってプログラムを書き換えたこともあります。1999年末の「2000年問題」では、12月31日から1月2日まで顧客先のサーバールームで過ごしました。

今ではなかなか考えられない働き方ですが、当時の僕は仕事が好きで、忙しさも含めて楽しんでいました。

ターニングポイントになったのは、2001年に関東のある地方銀行勤務となったときです。詳細は書きませんが「いろいろ」あって「こんなことで心が疲弊するなら会社をやめよう」と思ったことです。

そしてそのプロジェクトが終わったとき、ふと思いました。

「海外に行きたい」

そこから英語を独学で勉強し始め、仕事を調整して、3ヶ月後には会社を辞めていました。

不安ですか?正直に言うと、まったくありませんでした(笑)。海外に行けばすぐに就職できる。本気でそう信じていたんです。本当に根拠のない自信だけがありました。

「やめておけ」が、確信に変わった(笑)

友人に話すと、返ってきたのは反対の言葉ばかりでした。

「やめておけ」 「絶対無理」 「貯金はあるの?」

みんな僕の身を案じて言ってくれていたんだと思います。今思えば、本当にありがたい言葉です。

ところが当時の僕は、言われれば言われるほど「僕なら大丈夫」と、なぜかどんどん確信を持っていきました(笑)。

まずは、「大丈夫。なんとかなる。」

そんな当時の僕に、今の僕が最初にかける言葉は決まっています。

「大丈夫。なんとかなる。」

実際、なんとかなりました。最初の就職先は見つかり、2年後には永住権を取って、起業もできました。家族との時間も持てたし、今では複数の会社に関わっています。あのときの根拠のない自信は、結果的には間違っていなかったんです。

ただ、この言葉には続きがあります。

でも、「英語だけはもう少し真剣に勉強しておけ!」

第2回で書いたとおり、渡航したときの僕のTOEICは550点でした。今でも英会話は苦手です。

英語ができなくても、仕事はできます。信用があればビジネスも続けられる。それは第9回でも書いたとおり、今でもそう思っています。

でも、英語ができていれば、もっと早く、もっと楽に進めた場面はたくさんありました。銀行との取引、取引先の開拓、契約の確認。「できない」で困るたびに、「あの3ヶ月、もう少し真剣にやっておけば」と思ったものです。

だから、これだけは強めに言っておきたい(笑)。

海外は、天国じゃない

そしてもうひとつ、あの頃の僕に伝えておきたいことがあります。

海外に出ても、そこは天国ではない。

以前のコラムで書いたことですが、起業して間もない頃には、提携先の日本のエージェントが倒産して、留学生3人分の250万円を肩代わりしました。また、隣の会社の社長に300万円をだまし取られたこともあります。会計士に引き継いだら税金の計算ミスが見つかり、追加の支払いが発生したこともありました。

日本にいても、海外にいても、大変なことは起きます。場所が変われば、大変さの種類が変わるだけです。

だから、渡航前にやっておけばよかったと思うことがあと2つあります。

ひとつは、少しでも貯蓄を増やしておくこと。第11回で書いたとおり、起業したばかりの頃は毎月5000NZドルほどが必要でした。手元にお金があるかどうかで、気持ちの余裕がまるで違います。友人の「貯金はあるの?」は、正しい質問でした(笑)。

もうひとつは、経済やビジネスについて勉強しておくこと。SEとしての技術はあっても、契約や税金、お金の流れについては、ほとんど何も知りませんでした。知っていれば避けられた失敗も、いくつもあったと思います。

選択肢があることを、知っておいてほしい

こうして振り返ってみると、あの頃の僕に伝えたいことは、そのまま今この連載を読んでくださっている方に伝えたいことでもあります。

海外に出れば、すべてがうまくいくわけではありません。

でも、うまくいかないことがあっても、考えて、動いて、人に助けてもらいながら、なんとかしていくことはできます。

そして、準備をしておけば、その道のりは少し楽になるはずです。

もちろん、海外に出ることが「正解」というわけではありません。日本で働き続けることも、十分素晴らしい選択です。日本にいながら海外と仕事をする方法も、今はいくらでもあります。

ただ、日本だけを見て「自分にはこれしかない」と思っているなら、少しだけ顔を上げてみてください。海外という選択肢は、思っているより近くにあります。

37歳で、根拠のない自信だけで飛び出した僕でも、なんとかなったのですから。

もし今、その時の僕に会えるなら、最後にこう言いたいです。

「英語はもう少し勉強しておけ。貯金もしておけ。人を簡単に信用しすぎるな(笑)。」

でも、きっと最後には、こう付け加えると思います。

「まあ、いろいろあるけど、行ってこい。思っているより、世界は広いぞ。」

あのとき僕が知らなかったのは、ニュージーランドでどんな人生が待っているかということだけではありません。

自分の人生には、まだ知らない選択肢があるということでした。


さて、この連載は今回でひと区切りですが、終わりではありません。次の第13回からは、少し違う切り口で書いていこうと思っています。NZの経済のこと、NZで暮らしてみて感じたことなど、日記のような話も交えながら、もう少し自由にお伝えしていくつもりです。引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。


海外で何かやってみたい、日本にいながら海外を相手に仕事をしてみたい、海外移住や起業を考えている。でも「自分の場合は何ができるんだろう?」「英語ができないのにいいのかな?」と思っている方は、お気軽にご相談ください。*コラムを読んだ感想などもいただけると励みになります!
テリー野澤:terry@nzdaisuki.com

テリー野澤
大学卒業後、新卒で日本のコンピュータメーカーに就職。金融系システムエンジニアとしてプログラマー、上流エンジニア、ブリッジSE、顧客サポート業務を歴任して退職。
その後、ニュージーランドに渡航して起業。ニュージーランドの日本人コミュニティ基盤をオンラインで構築して運営している。そのNZDAISUKI.COMは、ニュージーランド国内の日本人向け最大のコミュニティサイトとなっている。
LINE:https://lin.ee/9dVD1au