ニュージーランドにいると、よくこんな言葉を耳にします。
「Quality of life(生活のクオリティー)」 職場、人間関係、ペット、畜産動物の話をするときも。
私がニュージーランドに来て一番驚いたのは、動物に対して安楽死を選ぶ人が多いということです。
ペットや畜産動物が病気や年をとったときなど、彼らの「Quality of the life 」が以前よりも下がったと判断したとき、安楽死はすぐみじかです。
たとえ痛みを伴っていなくても、普通に食べて寝て、動くことができたとしても、以前できていたことがなんらかの理由でできなくなった時には、彼らに精神的にストレスを与え、彼ららしく生きることができていないという考えもあるらしいです。
薬の投与や、リハビリで、トラウマを与えつけるかもしれない未来が残っているのならば、以前の幸せな状態のままの思い出で、眠ってしまった方がいい。という話をよく聞きます。
一方日本では、まだ安楽死という選択が普通ではなく、一度飼ったら最後まで全力を尽くしてあげるのが、飼い主の役目であり、彼らの幸せだ。という話をよく聞きます。
相当な痛みや、ストレスがかかってる時以外には、安楽死という選択をする。という話はあまり聞いたことがありません。
少し重い話になってしまいましたが、私は牧場で働き色々な死を目にしてきました。
生死以外にも、牛の飼い方の中で、国同士の違い。または各牧場同士の考えの違いが見えます。
たとえば、あるところは放し飼いにしてあげて、本来の牛のように生きていくのが彼らにとっての幸せだと考える場所。あるところは室内で育て、あらゆる危険や、天気から我々が守り、一頭一頭大事に育ててあげるのが彼らにとって幸せだと考える場所。
実際に何が一番幸せか。なんて動物と会話ができない限り知り得ないのですから、難しい問題だと思います。
それは、私たち個人個人でも一緒のことだな〜と各国の動物に対する幸せの定義の違いを見て、とても感じました。
ニュージーランドで仕事探しをしている時、または友達の仕事探しの話を聞いている時、「Quality of the life」の話は要だと思います。
仕事ばかりで、自分の人生を終わらせてしまい、自分の時間や家族との時間がなくなってしまうのは違う。と考える人が多いようです。
そのため、求人内容や、面接でその話をすることは多々あります。
また、各国で話していても、もちろん一人一人性格はあると思うのですが、国ごとに何が幸せで何が正義。と一般的にかかげる定義は違うようです。
私を含む日本人の人の多くは、何か問題が起きたときに、平和に穏便に済ませるのが一番ストレスがかからず、周りも傷つけず、いい方法だと考えます。だからこそ、そもそも問題が起きないように一人一人気をつける。なんて考えているのかもしれません。
ですが人によって、または国によってはそれが普通ではない時が多いような気がします。
何か問題が起きた時に、それに対し真っ当から戦わないことは、自分の価値を下げている。と感じる場所もあるそうです。
ですが、問題が起きるのは普通で、それを気にしないように一人一人が言い合い、色々なことに挑戦することが大事、と考えているのかもしれません。
どちらもいいところがあり、人によっては好きではないところがあると思います。
もちろん人によって、だと思うのですが、やはり国によっても価値観の違いというのは大きく目立つ気がします。
日本で生まれ育ってきた私は、日本人としての価値観、またはその地域の価値観が、知らないうちに定着し、固定概念となり、私自身の価値観になっていたのかもしれません。
私はニュージーランドに来て、色々な価値観を見ることができ、それによりやっと少しずつ自分の価値観を見出すことができています。
動物でもこんなに違うのですから、私たち人間も、この国に行ったらとても生きやすくなった、と感じるのはこういった価値観の違いからなのかもしれません。
そう言った理由から、違う国や違う場所に行って住んでみる、というのは自分の価値観探しにもなると思ってます。
例えもし、違う場所に出向き「合わない」と感じたとしても、違う視点からもう一度人生を考えてみることは、自分の人生をより豊かにするかもしれないですね
田舎の大牧場で日本人一人、たくさんの牛と働いていた、ただの牛好きです。
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