牧場で働いていると、目を見開くほど古いものを使っている時があります。

私が一時期乗っていたのは1970年の日産テラノ。
ちなみにサイドミラはーありません。笑
手で回して窓を開けるタイプ初めて乗る!なんてテンションが上がったのも最初だけ、、、、
寒い日の朝はエンジンがかかったら奇跡です。
霜が降りてるため前が見えず、寒い中窓を開けて横から顔を出し運転するのに慣れるのには時間がかかりました。笑
働き初めの頃、マニュアルの運転の仕方や、トラクターの乗り方は「乗って覚えろ」とろくに教えてくれないのに、車の点検の仕方、どこを見たらいいか。寝入りに教えてくれたのを覚えています。
また違うファームでは1950年代 フォンガスのトラクターを何度も何度も修理して使っていました。
何かとファームの人はそういった機械をさらっと直して見せることが多いのです。
当初は「車好きの人が多いんだな。」と思っていましたが、働いてみて気づくことがありました。
だだっ広い牧草地の中一人で作業中、牛たちは予想もつかないことをしたりします。
脱走してるのは当たり前、足がフェンスに絡まってる、早産、難産、病気。
生きている生き物で、命で、個性があり、主張があります。
私たちがプランした通りには行ってくれない方がほとんどですし、予想外の出来事はつきものです。
使っている機械も、毎日のように4躯でしか通れないような凸凹道を爆走していたら、故障はつきものです。
誰かの助け、例えば牛だったら獣医を、機械だったらメカニックを呼ぶのにも、電波はありません。
電波があるところに行くには、機械を治さなければいけない。一刻を争うところで、誰の助けもなしにどうするか。自分でどうにかするしかありません。
そんな窮地を何度も何度も経験し、知らぬ間に知識や対応力がついている。
そういったところがファーマーである上での肝なのではないのかな、と思ったりします。
今目の前にあるもの、自分の知識と経験を最大限に活かしてできる限りのことをする。
私も最初は誰かに泣きついてばかりでしたが、だんだん経験を重ね、いろんな失敗を重ね、泣きつく人がいなくなり、自分でどうにかするしかない。と思うようになりました。
大雨・早朝の真っ暗闇の中、トラクターが泥沼にハマり、さらには母牛がフェンスを壊し違う牧草地に走っていくのを見たときは、本当に泣きそうになりましたが。笑
それでも古いものをそこまで大事にし、何度も何度も使う。
自分が普段から使うものは、自分で直そうとする、そのものについて知ろうとする。
それが生きていくためだとしても、なんだかとても大切なことのような気がするのです。
この世の中、欲しいものがすぐに手に入る。技術が手に入る、自分でなんとかしなくても誰かがやってくれる。
そんなことが多くなった気がします。
自分が所有しているすべてのものが何でできていて、どこからきて、どうやって扱うのか、至ってシンプルなことなはずなのに、食べ物ひとつとってもどうやって作られているのかわからない。
自分の生活のことで、自分の人生なのに、何事も他人任せにして生き、その間自分は知らない誰かのために働いているときは、どうしても地に足がついている感覚がありませんでした。
ニュージーランドは、特に田舎の牧場では、日本の都市で暮らしていた時の便利とは程遠い暮らしをしていると思います。
車だって、機械だって、いつだって壊れるし、使い勝手は悪いし、古いし、それでも何度も何度も試行錯誤し、一緒に少しづつ失敗し付き合っていると、愛着が湧くものです。
そして何より、自分が使っているものを知る。と言う至ってシンプルなことは、意外にも自分に今を生きている実感をもたらしてくれる。と私は感じました。
自分でどうにかしてみる。たとえ失敗したとしても、経験値になりこの先必ず活かせることがある。と牧場で知れたことは、牧場生活だけでなく、私の人生においても、大事な教訓となりました。
田舎の大牧場で日本人一人、たくさんの牛と働いていた、ただの牛好きです。
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