ニュージーランドに来てから、見返りを求めない優しさを多く目にするようになった気がします。
というのも、私が海外に来たことによって、いろんな能力を失い(大きなもので言えば言語、それから家族や地元の古いつながり)ニュージーランド社会の中で”弱者”になったからです。
海外移住ってカッコよく聞こえるかもしれないけれど、失うものは本当に多い。ぶち当たる壁も日本にいた時よりも、たくさんある。
いわば言語でも、文化でも、その国にとって私のような存在は「赤ちゃん」だと思うんです。でも赤ちゃんみたいに保護者はおらず、一人の大人として認識されるため、自分で全てを乗り越えていかなければいけません。
私も最初から、保険の契約や、仕事の取得、車の売買、人間関係、ストーカー被害など、日本にいたら、ほんの一本の電話で終わるようなものが、何時間も何時間もかかり、それでもなお達成できない。なんてことはしょっちゅうでした。
一人だったらどうしようもなく絶望の渦に飲まれているところに、必ず手を差し伸べてくれる人がいました。
また、最近キャンピングカーで旅を始めたのですが、キャンピングカー生活、またや北島に旅に行くのは初めてだったので、全てが新鮮でした。
そんな中、いろいろなアクシデントにしょっぱなから巻き込まれ、困り果てているときに助けてくれたのは、見ず知らずの他人でした。
キャンピングカーが泥にはまって抜けれなくなってしまった時、携帯の電波もなく一刻とフェリーの予約の時間が迫る中、たまたま通り過ぎた人が、知り合いのファーマーを呼び、そのファームの人がトラクターで助けてくれました。
2時間弱の格闘の末ようやく出られた私たちに、彼らは「お礼なんかいいから、早くいけ!フェリーが行っちゃうんだろう?」と急かすようにいかせてくれました。
また、宿がなくて困っている時も、たまたま一緒にパラグライディングのコースを受けていた人が、うちにおいでと言ってくれました。
宿代を払おうとする私たちに「こんなところにお金を払う必要はない!」と強く言われました(笑)
社会やいろいろなことで弱者になった時に、自分の小ささと、そして周りのやさしさに深く気づくことができました。
彼らは見返りなんて求めておらず、困ってたら助けるというのは普通のこと、と口を揃えて言います。
私が気づいたのは、そういう優しさを返そうとするのも大事だけれど、自分自身がそれを胸に刻み、知り合いでも、他人でも、自分になんの面識のない人でさえ、自分の損得関係なしに、また誰かが困っていたら助けてあげることが大事なんじゃないかと、思います。
そしてまた次の人が、次の人を助ける。こうやって優しさの輪ができる。
一見ありきたりに聞こえますが、ニュージーランドで、または社会の弱者になってみて初めて、この優しさの輪がどれだけ大事で、どれだけ大きいか改めて感じました。
今まで貰ってきた、大きな大きな優しさに感謝しながら、今度は自分がすぐに手を差し伸べてあげれるような人間になりたい、と思います。
田舎の大牧場で日本人一人、たくさんの牛と働いていた、ただの牛好きです。
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