サイコセラピーを実践するプロセスは、わたしにとって、“自己否定から自己受容へ”と変化するプロセスでもありました。今回は、わたしのターニングポイントになった時の話をしたいと思います。
“自分はほんとにダメだな・・・”
これは、わたしがAUTの大学院で、サイコセラピストになる訓練を受けている時の話です。
トレーニングの一環にグループサイコセラピーをする時間があるんですね。それは先生1人と学生10人くらいが輪になって座って、その時々感じてることを自由にシェアし合います。ある時、わたしは自分が傷ついた時の話をしました。
その時セラピストになるための実習をしていた場所は、ドラッグなどの中毒からの更生を目的とした、4か月のプログラムを提供しているところ。そこのクライアントは、同じ場所に寝泊まりし、生活を共にします。更生プログラムの住み込みの学校みたいなところです。
スタッフは、自分が担当するクライアントがいますが、学校みたいなところなので、スタッフみんなで、そこにいるクライアントをサポートします。常に何かしら問題が勃発しているので、緊迫した状態で仕事をしています。
そこの上司は、効率が悪いのが大嫌いでした。そのボスと、スタッフ10人くらいがボスの部屋に集まって、スタッフ会議をしていた時のこと。スタッフ一人ひとり、クライアントの近況報告をしていた時、わたしの番になって話し出そうとしたら、その上司は、「Seikoはうまく説明できないから、誰か代わりに説明して。時間ないから」と言ったんです。
いやー、たしかにその通り!と思いましたが、内心、すごく傷つきました。わたしは心臓ドキドキしながら、自分の番が来るのを待って、頭の中で言うことを整理していたのに・・・。「ああ、自分はほんと能力ないと思われてるんだな」―悲しさと、恥をかいたような思いで自分が小さくなって、身の置き場がありませんでした。
「今ここ」の心の真実を受け入れる
この話をグループワークの中でしながら、どんどんみじめな気持ちになって、泣きそうになりました。でも泣かないようにしようと、自分を抑制しているのに気がついたんです。
サイコセラピーでは、「今ここ」で感じていることを、まず認めて、ありのままの気持ちに寄り添うことが、本来の自分らしく生きるための出発点と教えています。泣きそうになりながら、それをハッと思い出したんですね。
そして、心を落ち着けようとするのをやめて、「もうありのままでいいや」と思いながら、泣きながら、その時感じていたことをそのまま語り始めました。
わたしは「自分はバカだ」と感じるのがすごく辛いこと
能力の足りない自分は価値がないように感じること
実習先でも、他の人が「普通に」知ってることなのに、わたしが知らないことが無数にあること
ニュージーランドで「わたしである」という感覚は、すごく制限されているように感じること・・・。
わたしはこの国でちゃんと力を発揮したいのに、今のわたしって、まるで「障害」を持っているみたいだ。どんなに頑張っても、できないことがある。これは、わたしがこの国で生活している限り、付きまとうチャレンジ。
心の真実は幾重にも深く
そして、グループワークの先生が一言、こう言ったんです。
「Seikoは悲しいんだね」
・・・・・えっ?
わたし、悲しいの?
わたしは、それまで、力のない自分に不甲斐なさや劣等感は感じていても、悲しいとは思ったことは一度もなかったんです。「悲しい」という言葉が、その日一日中頭の中を、ぐるぐるしていました。
そしてだんだん分かってきたのです。わたしはずっと、自分を失ったことが悲しかったんだと。この気づきは、自分でもびっくりしました。
わたしは、日本で感じていた心地よかった自分、大好きだった自分を、この異国の地では同じように表現できない。わたしは今、この限られた自分とうまく仲良くつき合う方法を、新しく学んでるんだ。この経験はまるで、足を失った人が前と同じように走れないって泣いてるのに似てるのかなあ・・・
もう足がなくなっちゃったんだから、(英語は日本語みたいにはできないんだから)、あきらめて、この今の自分を受け容れたいな・・・・そんなことを感じました。
心の鎧を手放す
この経験はわたしにとって、1つのターニングポイントでした。わたしの心の奥底にあった自分を失った悲しみに気づき、ありありと味わった時、初めて、限界も、できないこともある自分を、受け容れ始めることができたんです。
「ありのままの自分を受け入れる」ことは、自分がひた隠しにしていた弱さや限界に、“降参”することに似てるように思いました。”I surrender” ―そういう部分も含めて、わたしはわたしなんだから。「他の誰かになろうとする」戦いをやめました(笑)自分をよく見せようとしたり、悪いところを隠そうとしたりする“心の鎧”を手放したんですね。
もう自分のダメなところを隠す必要がなくなったことで、本音や「分からない」「できない」「やりたくない」などを、はっきりと言えるようになりました。すると、心が本当に楽になりました。驚いたのは、はっきり自分を表現することで、見下されるどころか、人との心のつながりが一気に近くなったんですね。自分のすべてを隠さず相手に差し出した時、初めて、心を通い合わせることができるんだと思いました。
わたしはこの国で「違う」ことが、本当に嫌でしょうがなかったけれど、自分の違いを受け容れられた分、相手の違いを認め、尊重できるように、自然となっていったんですね。自分の心の痛みに共感・肯定できるほど、相手の心の痛みにも共感・肯定できるようになった気がします。
長いコラムをお読みくださり、ありがとうござぃました。次回は、本音を言う大切さについて、自分自身の体験も交えてお話したいと思います。
- Seiko Shirai (Registered Psychotherapist)
- 2002年にニュージーランドに移住。
- 現在オークランド在住。
- サイコセラピーの素晴らしさを一般の人々に届け、より多くの方々が、喜びに満ちて生きる世界を作りたいと願い、活動中。
- 趣味はマインドフルネス、フレンチホルン、スパ。
- seikotherapies@gmail.com
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