いよいよオーストラリアの建設現場での仕事が始まりました。多国籍な現場での思い出や苦労したこと、次にニュージーランドを選んだ理由など、当時のエピソードを紹介します。
多国籍な建設現場での仕事と大変だったこと
ようやく仕事が始まり、初めて海外で建設現場を経験することになります。仕事内容は、荷物を運んだり掃除など。ダーウィンは熱帯気候でとても暑く、肉体労働だったので体がしんどかったです。
大きな現場だったので、ローカルのオーストラリア人以外にも、バックパッカーの作業員たちがたくさん働いていました。イギリス、フランス、スコットランド、アイルランド、韓国、中国、台湾、南米、ギリシャ、ニュージーランドなど多国籍。日本人は自分以外にはいませんでした。
ここで働き始めてから、いちばん大変だったのは英語です。英語力がまったく無かったわけではありませんでしたが、同僚のアクセントはみんなバラバラだし、特に北アイルランド人のアクセントには苦労しました。早口で癖が強いと言われる、ニュージーランド人のマオリ系アクセントの方がまだ聞きやすかったです。
その一方で、まったく英語を話さない人たちが働いていたのも印象的でした。スコットランド人のリーダーが、一言たりとも英語を話さない男の子たちに、身ぶり手ぶりで「ここ、ほうき、掃除、おねがい」などと、どうにか仕事を教えていたのを覚えています。
しばらくその現場で働いているうちに、作業員から昇格して、資材の手配を任されるようになりました。業者に材料を取りにいき、それぞれの現場に届ける仕事です。1人で重たい荷物を運ばなければいけないことが多く、体力的にしんどかったですが、運転している時間も長かったのでけっこう自由でした。
オーストラリアで大工をするつもりは無かった
1年半以上そこで働きましたが、たまたまオーストラリアの建設現場で仕事が決まったというだけで、ワーホリ中に建築をやろうとはこの時もまったく思っていませんでした。
それに、働いていたアパート建設の現場では、大工を見かけることもありませんでした。建て方は、軽天下地に、プラスターボードとブロックがメインだったので大工の出番はほぼ無し。(軽天下地とは、天井や壁に石膏ボードなどを貼るための下地となる骨組みを作る工法のこと)
ちなみに、オーストラリアのダーウィンは熱帯気候で台風も多く、他の地域とは家の立て方が違っていました。どちらかというと、沖縄みたいにブロックを使うような感じです。
ほぼ仕事ばかりだったオーストラリア生活。日本で働いていた時よりもはるかに給料が高かったので、思いがけずお金をけっこう貯めることができました。しかしワーホリビザには有効期限があります。
会社からワークビザをサポートしてもらい、そのまま滞在することもできたのですが、当時その会社が自分には合わずかなりストレスを感じていたので、オーストラリア生活は楽しかったですが、ここで環境を変えようと思いました。
オーストラリアとニュージーランドは隣どうし。どちらの国でもワーホリを経験した人たちはたくさんいて、ニュージランドの話を聞くことがよくありました。
カナダも検討しましたが、「ニュージーランドはとても美しい国で、旅行もしやすい。ワークビザも取りやすいらしい。(当時)」という評判だったので、まずはオーストラリアから近いニュージーランドへ行くことに決めました。
第4回のコラムへ続きます。
コラムに掲載している内容は、すべて私、個人の経験にもとづく情報提供のみです。移民法も私が経験した当時とコラム執筆時点では大きく変わっています。私は移住をアドバイスする資格をもっていないので相談にも応じませんのでご了承ください。あくまで私の経験談です。
高卒から大工としてニュージーランド永住権を取得した関西人。オーストラリアでも建築現場を経験。ニュージーランドでは見習いから始め、大工の国家資格を取得。高級注文住宅を建てている。SNSやYouTubeで発信中
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