
Interview vol.2
ロイヤルニュージーランドバレエ団団員
大滝 ようさん
バレエは私の「素」です
(Quarter 2000年春号より)

バレエの夢を追いかけて日本から遠くニュージーランドまでいらしたわけですが、バレエを始められたきっかけを教えてください。
7歳の頃、たまたま一緒に遊んでいたお友達が「今日これからおけいこに行く」と言うのですね。それがバレエで、私も見学に行き、同じ教室に通い始めました。結局彼女は途中でやめてしまったのですが。実は母もバレエを習っていた経験があり、理解がとてもあったので、ここまで続けられたのだと思います。バレエは1人で練習できるものではないので、当時は週に4回教室に通っていました。学校が終わってお友達が遊ぼうと誘いに来ても、私にはおけいこがあったので行けなかったのですが、バレエが楽しかったので苦にはなりませんでした。教室でできたお友達もいましたし。でも、高校などで部活などをクラスメートがやっているのはうらやましいと思いましたね。先生から「バレエに影響が出るものはやらないように」と言われていたので余計にやりたかったのですが、けがをしてしまっては何もならないので断念しました。高校を卒業しても大学には行かず、バレエを続けようと思っていましたから。
小さい時は本当に楽しくてつらいことなんか何もなかったですね。でも、東京シティバレエ団に入った頃からプレッシャーを感じて、それがつらいと感じることがありました。当時はおけいこ場とバレエ団の両方に行っていたのですが、おけいこ場ではあくまで先生がいて自分は生徒。「生徒」でありながら、踊りは「プロ」のものでなくてはならない。その両立の難しさから一時は舞台に立つこと自体が怖くなってしまったこともありました。それに普通の人は段階を踏んで主役を獲得するのですが、私の場合は急に主役に抜てきされる傾向があって、自分に自信がないまま大きな役をこなさなくてはならなかったので、そういう意味でもプレッシャーを感じました。でも、ロイヤルニュージーランドバレエ団に入ってからは毎日とても楽しく踊っています。
日本とニュージーランドという2つの違う国で同じバレエをやっていらっしゃるわけですが、何か違いがありますか。
日本にいた時もプロとして踊っていたのですが、「プロ」とはいっても仕事としては成り立っていませんでした。給料がなく、1つの公演があって、それに対してお小遣い程度のギャラが出るだけ。自分でさばかなくてはいけないノルマのチケットが何十枚もあり、日本だからかも知れませんが振付家へのお礼などもありましたから、本当に大変でした。ですが、こちらでは違います。自分が暮らしていくのに十分なお給料はもらえますし、ポイント・シューズなども支給されます。日本ではそういったものもすべて自前だったのですが。ここで私たちが求められているのは「踊る」ことだけなのです。好きなバレエをやらせてもらえる上に、こんなにお金をもらっちゃっていいのかなと思うこともあります。でも、バレエで生活できるのが夢でしたからうれしいです。
日本では教え方が厳しいのでダンサーは成長しますが、ニュージーランドではうまくいけば褒められてそれで終わりです。日本はおけいこやリハーサル以外でも常に練習という姿勢が貫かれています。日本ではバレエ団に通うのに2時間かかっていましたし、毎日リハーサルの掛け持ちなどで何回も移動して踊って、帰宅は夜中の12時。1日24時間ではとても足りませんでした。みんなバレエ一筋でほかに何をやる余裕もないのが日本では普通のような気がします。でも、こちらでは公演を控えている時は別ですが、普通は夕方の6時で終わりで、残って練習を続ける人はほとんどいません。私も時間内に集中して踊り、この時間には切り上げます。バレエ以外にも人それぞれ興味を持っていることがほかにあって、それをする余裕がこちらにはありますね。バレエ以外のことをやるのも、最終的には自分の踊りのプラスになると思います。例えば、私の場合は写真を撮ることに興味があったりします。私自身、今の方が楽に、つまり今の方がバレエをもっと楽しめるようになりましたね。もちろん大きな舞台に立つというような刺激的な経験も日本ではできたことも事実ですが。佐々木大さんと『ドン・キホーテ』の舞台に立てたのもそんな経験の1つです。
そのほかの日本とニュージーランドの違いなのですが、こちらの人はバレエに向いた容姿を持っています。ですから割と苦労しなくてもいいラインが出ますが、その代わり自分で自分をコントロールできない人もいますね。その点、日本人は自分でいいラインを作る努力をしない限りはいいラインにはなりません。その分自分のことを自分でコントロールし、もっと動きを完璧にしようとします。つまり日本人の方が計算された動きで、ニュージーランド人の方が自由でのびのびとした動きなわけです。私は14年間日本で踊ってきたからこそ今まで生き残ってこられましたし、それが自分の土台になっています。今まで培ってきた力を使って今は新しいことにチャレンジしたいですね。今までの積み重ねを新しいものと入れ替えるというのではなく、手を加えていきたいと思っています。
ニュージーランドに行くということに対して抵抗はありませんでしたか。こちらでの暮らしはいかがですか。
ニュージーランド行きは即決しました。外国で踊るのが夢だったので。幸い東京シティバレエ団に所属したままの形で、こちらのバレエ団に入団することができましたし、日本のみんなも応援してくれています。それに日本から海外に勉強に行く人は多いですが、ちゃんと海外でバレエ団に所属して踊れるという機会はそうあるものではないですし。
ニュージーランドはのんびりとしていて、景色もきれいでいいところだと思っています。みんな親切ですし。それにこの国はアートに力を入れていますよね。展覧会や映画も低料金で見られるのがうれしいですね。公演でいろいろな都市を回るのもおもしろいです。日本でも地方公演はありましたが、訪れた街を楽しむ余裕はありませんでした。でも、こちらではそれもできます。このままここに住み続けたいと思うのですが、その一方でバレエの本場フランス、エネルギッシュなバレエのニューヨークやロスといったアメリカにも憧れますね。
あと、もう少し英語ができるようになるといいなと思っています。まだこちらに来て半年なのであまりしゃべれず、自分の気持ちを表現できないのが残念です。それでもうれしいのはみんなと「バレエ」という共通項があることです。言葉が通じない時でも、「バレエ」を通して心と心が通じ合うのです。でももう少ししたら、ほかの団員の人たちとフラッティングを始めるので、そこで英語が修得できるといいなと思っています。
ダンサーとして、個人としてのこれからの目標は何でしょうか。また、バレエとはご自分にとって何だと思われますか。
主役だけではなく、そのほかの役どころもこなせるオールマイティーなダンサーでありたいと思っています。個人的にはバレエとは関係ありませんが、カフェの経営に興味があります。
バレエは奥が深くて終わりがありません。踊りでその人の人柄がわかるのと同じように、体で自分を表現すること、自分を演じないこと、正直な自分でいられるということが私にとって「踊る」ということなのです。私にとってはバレエは私の「素(す)」なのです。
(2000年6月21日 オークランド、シビックシアター楽屋にて)
Yo Otaki
おおたき・よう●1978年生まれ。21歳。横浜市出身。7歳よりバレエを始める。18歳の時に東京シティバレエ団にプロとして入団。1999年8月、アジアパシフィック国際バレエコンクールで3位入賞。その時審査員だったロイヤルニュージーランドバレエ、ディレクターのマッツ・スクーク氏にスカウトされ、ニュージーランドへ。2000年1月よりロイヤルニュージーランドバレエ団団員。
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