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ニュージーランドの至宝―美術館&博物館
Treasure Houses in New Zealand

ニュージーランドの魅力は“自然”だけではない。その違った素顔を見つけることができるのが博物館、美術館だろう。美しい自然、そしてこの国の社会や歴史をそのまま直接反映した展示物を見学できるのが博物館。一方、それらを間接的に、第三者の目を通し、表現されたアートを鑑賞できるのが美術館ということになろう。どちらもこの国のことを理解するためには大切な場所と言えそうだ。
(Quarter 2001秋号より)

Text by Mari Clothier / Special thanks to Ralph Hotere

アート王国ニュージーランドが出来るまで

Frances Hodgkins 1869-1947
Red Cockerel. 1924
Oil on canvas 70.7 x 91.4
Collection of Dunedin Public Art Gallery

 ヨーロッパ人がまだその存在すら知らない1000〜1800年頃、アオテアロアのマオリの人々は自らの文化を独自の力強い表現方法で表していた。トゥクトゥク(装飾パネル)などのウィービングやファレヌイ(ミーティング・ハウス)に見られるカービングなどがその代表だった。

 ヨーロッパ人が訪れ始める1800年代に入ると、マオリ・アートは材料、表現形式、テクニックに至るまでその影響を受けるようになる一方、ヨーロッパ人の作家やアーティストはマオリ文化とその社会に多大な興味を抱くようになっていった。しかし、戦争や病気などにより、マオリの人口は1800年代末には激減。代わりにヨーロッパ人が優勢となり、ビクトリア女王時代の価値基準がアートにも適用されるようになる。

 新しい世紀の声を聞くと、ニュージーランドという「文化的発展途上国」で才能を発揮できずにいたアーティストたちは、当時「文化的先進国」であったヨーロッパに向かい、成功を収める。その中には作家K・マンスフィールド、画家F・ホジキンス(P.10)、フィルム製作者兼キネティック・スカルプター(動く彫刻家)のL・ライなどがいた。一方その頃、ニュージーランドでは、マオリの人々などの肖像画で有名なC・ゴールディが活躍していた。

Photograph compliments of Canterbury Museum

 20世紀に2つの世界大戦を体験したニュージーランドは自国が単に大英帝国に利用されていたにすぎないことに気付く。と同時にアート自体も独自のものを目指すようになり、1930、1940年代の若いアーティストたちは以前とは一線を画した作品――皮肉にもこれらは決して愛国主義にあふれるものではなく、自国を批判的に表現したものだった――を産み出した。R・アンガス(P.6)やC・マッカン(P.10)などによる風景画、抽象画だけでなく、音楽、詩、小説などの分野でも、苦しい現実が前面に押し出されていた。多くのアーティストは、「パケハ(マオリ語で白人の意味)のアイデンティティー」とは何かに悩まされ、自分たちのことばかりに注意を向けていたため、当時のアートにはマオリのイメージが表現されていない。

 第二次世界大戦が終わると、アートは国家助成金などにより、急速に発達する。今までになかった演劇、ダンス、映画をはじめ、1960年代に各家庭に普及し始めたテレビまでもが新しいアートの表現形式となった。1964年には、この国のアートを世界中に広めると同時に、国民にアートをよりよく理解してもらうことを目的としたQueen Elizabeth II Arts Council(現Creative New Zealand)が設立され、美術館、博物館の整備が進んだ。

 その頃、若いアーティストたちはリアリズム(現実主義)一辺倒で、視野の狭い当時のアート界に嫌気がさし始めており、もっと実験的で国際的な視野を求めていた。英国の影響はどんどん衰え、ニュージーランドはゆっくりアジア、太平洋や北アメリカを向き始めた。

 ここ数十年の間に、ニュージーランドは経済的にも自立した国に生まれ変わった。マオリは独自の影響力を持ち、南太平洋、アジアからの移民は、今まで主流を占めていた白人の地位を変化させた。「ニュージーランド人」をひとくくりにするのは難しくなり、各人の人種、性別、性的嗜好などの違いのために、国内にさまざまな文化が生まれ、それらがニュージーランド文化全体を支えている。

 21世紀を迎えた現在、この国の代表として1人のアーティストを挙げることはできない。さまざまな分野からさまざまなバックグラウンドを持つさまざまなアーティストが「ニュージーランド・アート」の代表として活躍している。

歴史を語る博物館自身にも歴史がある

©Auckland Museum

 1841年4月ホイットビー号、ウィル・ウォッチ号がそれぞれロンドンから移民を乗せて、ニュージーランドのネルソンに向かっていた。これがNew Zealand Companyが手配した国内で2つ目の開拓地設立のための航海だった。各船に乗っていた指導者たちは、航海の途中からすでに目的地ネルソンで諸機関を設立しようと――その中の1つが自然史と民族学の博物館だった――計画を練っていた。しかし残念ながら、到着後、博物館に対する興味はあまり持たれなかった。それでもこの国で初めての博物館はロンドンの各団体からの寄付金を得、この地に根付いた。これが現在のNelson Provincial Museumである。ニュージーランドにおける初期の博物館にとって、自然史や地理学に関する資料が豊富なのは当然といえば、当然だった。開拓の途中で標本は採取され、個人のコレクションが出来上がり、それが博物館に寄贈されていったからである。

 1865〜1877年の間にオークランド、ウェリントン、クライストチャーチ、ダニーデンに国内でも指折りの4つの博物館が相次いでオープンしたが、J・ヘクター、T・F・チーズマン、J・V・ハースト、F・W・ハットンの4人の貢献なしには各博物館の今日の発展はあり得なかっただろう。また同時に、各地方都市の中規模、小規模の博物館はそれぞれのエリアの歴史に密着した形で、ゆっくりではあるが着実に数を増やし、現在に至っている。

 1947年にはArt Gallery & Museums Association of New Zealandが設立された。この組織設立の目的には博物館が提供するサービスの質の向上を目指し、博物館が保持する知識を一般の人に広めることが挙げられている。

McCahon, Colin John
This is the Promised Land - August 1948
Auckland Art Gallery - Toi o Tamaki, gift of the McCahon Family, 1988

 1963年にOtago Museumからの調査団がチャタム諸島において、800もの木製彫刻を発見したことから、今まで自然史に重きが置かれがちだった状況は一変し、考古学に対する興味、ひいてはニュージーランドの古代史の保存に力が入れられるようになった。

 この国の四大博物館には教育、(コレクションの)管理、調査という3本柱の概念がある。ニュージーランドの小中学校では、博物館への訪問が授業に組み込まれている。この形態での学習は1936年にニューヨークのCarnegie Corporationからの寄付を得て始まったものだが、さらに現在は博物館内に高校生に対する教育の場が完備され、彼らのためのプログラムが組まれることが望まれている。と同時に地方の中規模の博物館でも小中高校生に学びの場を提供するための努力が始まっている。

 さて、ニュージーランドの美術館、博物館の背景はもうお分かりいただけたのではないだろうか。さまざまな角度からニュージーランドの素顔に触れるために、国を代表する8つの美術館、博物館を次に紹介してみよう。>>次のページへ

この記事は「Quarter 2001年秋号(Issue 4)」に掲載されたものです。記載されているデータ・情報は全て掲載時のものとなっております。予めご了承ください。

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