
Interview vol.17
映画プロデューサー
ティム・コディントンさん
Never Despair 映画作りに必要なのは情熱、チャレンジ精神、人生経験
6月末からいよいよ、ファンタジー巨編『ナルニア国ものがたり』第1話"The Lion, the Witch, and the Wardrobe"(邦題予定:『ライオンと魔女』)の映画化に向け、オークランドを中心にロケが開始される。原作イギリス、出資アメリカ、ロケ地、監督や撮影スタッフの大多数はニュージーランドという、まさに国際的なプロジェクトだ。総勢300人以上というチームを率いて、11月まで続く長期ロケ現場を仕切る人物に、映画制作との出合いやニュージーランド映画の今後について話を聞いた。
(Quarter 2004年冬号より)

背が高く、黒いひげをたくわえたティムだが、不思議と威圧感はない。少し緊張した面持ちで、映画制作にめぐり合うまで、そしてめぐり合ってからの経歴を語り出した。
「子どものころから映画を見るのは好きだったけれど、作ってみたいと思ったことはなかったんだ。獣医やパイロットを目指したこともあったし、猟師や森のレンジャーとして過ごしたり、パプアニューギニアで漁師をしたこともあるよ。興味を持ったら何にでもチャレンジしてみようと思ってね。そんなとき、ある映画ロケに馬の訓練士として参加するチャンスに恵まれた。そこで、映画作りそのものにすっかり魅せられてしまったんだ。皆で力を出し合って限界まで挑戦し、一つの作品を仕上げる。人々を楽しませ、優秀な作品は後世まで残る。自分がやりたかったのは、これだ――そんな思いに突き動かされたことを、今でもはっきりと覚えているよ」
こうして映画制作の世界に足を踏み入れたティムだが、ニュージーランドとイギリスでのそれぞれ3年間に及ぶ下積み時代は、とにかく"Never Despair(決して希望を捨てない)"の精神で乗り切ったという。まずは映画プロデューサーに積極的にアプローチして自分を売り込み、チャンスを手にする。実力を認められれば、次の仕事が来る。助監督としてがむしゃらに働き、現場ではさまざまなことを学んだ。関係作品には、スタンリー・キューブリック監督の『フルメタル・ジャケット』(1987年)も挙げられる。帰国後はウェリントンのテレビCM制作会社で10年間、プロデューサーとして数々のCM作品を手掛けた。そして1997年、故郷の農場名を引き継いだ自らの映画制作会社、ヌクハウ・プロダクションを設立。
「プロデューサーの仕事は、監督や役者を含めた全スタッフが住むための大きな"家作り"と例えることができる。その点ではCMも映画も大差はないけれど、CMは特定の商品を買わせることだけが目的。やっぱり、純粋な娯楽である映画作りに戻りたくなってね」と、その理由を教えてくれた。豊富な人脈を生かしながら地道な活動を続けるうちに、ハリウッド映画『バーティカル・リミット』(2000年)のNZロケを仕切るという大仕事が舞い込む。雪崩で遭難した登山隊の救助劇を描いたこの映画は、南島マウント・クックで多くのシーンが撮影された。標高3,000メートルの高山地帯にあるロケ地まで、総重量10トンにも上る機材とともに毎日ヘリコプターで移動し、80人のスタッフを指揮した8カ月。「不可能と思われることを可能にし、ベストを尽くして奇跡を起こす」――そんなチャレンジの連続だったという。
「リーダーは、スタッフ一人ひとりを大切にし、平等に扱わなければならない。それに、野外ロケではいつでも不測の事態が起こりうる。どんなときでも皆が柔軟に対応できるよう、すばやく正確な判断を下す能力が求められるんだ。若いときに積んださまざまな経験が、すべて余さず役に立っている。特に映画は、観客の共感を得るためのもの。リアルな表現とはどうあるべきか、自分がすでに経験したことならそれが分かる。机上の勉強だけでは人の心を動かせないからね」
今回、映画『ライオンと魔女』のロケを仕切るプロダクションマネジャーに抜擢されたティム。これには、雪山での過酷なロケを完璧に取り仕切った彼の手腕を認めたある人物が、同映画でメガホンを握るアンドリュー・アダムソン監督に推薦してくれたことが大きいという。ニュージーランド出身のアダムソン監督は、日本でも大ヒットしたアニメーション映画『シュレック』(2001年)を手掛けたことでも知られている。
「僕は人間関係には恵まれているんだ。尊敬している人物から、『一緒に映画を作らないか』という電話がかかってきたときの喜びといったらないよ」
ロケの準備で多忙を極めるティムのスケジュールに合わせ、この日のインタビューは、日本料理屋で食事をしながらと相なった。上手な箸さばきでおいしそうにみそ汁を飲む彼に、箸の使い方をどうやって習ったのかたずねたところ、面白い話が飛び出した。
「僕が9歳のとき、宝くじに当たった祖母が僕の母を連れて、日本を含めたアジアへの船旅に出たんだ。その土産に箸を買ってきてくれてから、ずっと使っている。和食は大好物だよ。特に、みそ汁は僕にとってコーヒーに優る最高のリフレッシュメントなんだ。いつも仕事が忙しくて、定時に食事をとることはまず無理。だから、レトルトのみそ汁パックをいつも携帯して、疲れたときに飲んでいるんだ」
衣装ダンスに隠れた主人公の少年が、その奥にライオンと魔女の住む不思議な別世界を見つけて迷い込む、という夢と冒険に満ちたファンタジー、『ライオンと魔女』。彼はどんな思いでこの仕事を引き受けたのだろうか。
「何歳のときだったかは忘れたけれど、ベッドのそばでこの物語を母が読んでくれて、ワクワクしながら聞いたことを覚えているよ。それから何十年も経って、8歳と5歳になる自分の子どもにこの話を読んであげた直後に、ニュージーランド人のアダムソン監督がこの国でロケを行うという情報をキャッチしたんだ。これはチャンスだ、ぜひ関わりたいと思った。長期ロケでほかの土地に住むとき、僕は家族に一緒に来てもらう。家族は最大の支えだからね。今回はオークランド中心のロケで、子どもたちが学校を変わる必要がない分、ちょっと気が楽だよ」――家族について語るとき、その表情は初対面のときの少し緊張した顔とは別人のように和らいでいた。
2004年度のオスカー制覇が記憶に新しい3部作映画『ロード・オブ・ザ・リング』(以下、LOTR)に引き続き、『ライオンと魔女』の原作もイギリスのファンタジー巨編、全7話から成る『ナルニア国ものがたり』だ。著者C. S. ルイスは、LOTRのJ. R. R.トールキンと同じイギリスの文学研究者で、二人がライバルかつ友人関係にあったことも知られている。この両作品が、ニュージーランド人監督とそのチームによって、この国で撮影されるとは、何と不思議な巡り合わせだろう。
「本当にすごいことだよね。ニュージーランド人であることを、とても誇りに思うよ。この国には、衣装や小道具に関して、とんでもなく才能豊かな人材があふれている。この点にかけては世界一だと思う。僕は、LOTRの撮影スタッフ募集がかかったとき、すでに『バーティカル・リミット』の仕事が決まっていたので、参加しないことに決めた。でも、人生はその一瞬一瞬で自分なりの判断を下しながら進んでいくものだから、後悔はしていないよ。あのとき、あの決断があったから、今の自分があるんだ」
豊かな自然が残る国として、世界の映画界から熱い注目を集めているニュージーランド。この国の映画界の将来性について、ティム自身の展望を交えた頼もしい一言で締めくくってくれた。
「ニュージーランドの映画産業は、政府に頼らずもっと自立して、どんどん"国際的"になっていかなきゃだめだ。ワイン産業と同じで、内輪受けするものだけを作り続けていても将来性はない。歴史は浅くても、これだけの人材がそろった国。世界から一流と認められる映画がすぐに作られるようになるだろう。僕自身も、監督として作品を撮る準備を進めている。映画作りへの情熱がもたらすエネルギーが、観客の心に届くような本物の映画を作るよ」
Tim Coddington
てぃむ・こでぃんとん●1956年8月23日、ホークスベイ生まれ。大学の獣医科を中退後、2年間各地を転々とする。空軍で3年間の訓練を受け81年に退役。直後に、馬の訓練士として映画ロケに参加し、映画制作の魅力に目覚める。国内映画業界で3年間の下積み後、84年に渡英。助監督として3年間働く。帰国後、テレビCM制作会社のプロデューサーを勤める。97年、映画制作会社を設立。ハリウッド大作『バーティカル・リミット』では、マウント・クックでのNZロケを仕切るプロダクションマネージャーとして活躍した。フィルム・オークランド代表。
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