
Interview vol.11
ワインメーカー
楠田 浩之さん
巡り合えた夢実現の舞台で最高のピノ・ノワールを
(Quarter 2003年夏号より)

まずはワインとの出合いから、本格的にワイン造りの道を目指すことを決意するまでのいきさつについてお話しいただけますか?
運命的ともいえるワインとの出合いを果たしたのは、大学2年の時でした。そのころ、すでに海外のワイン関連本の翻訳などを手掛け、業界ではある程度名の知られていた兄の勧めで、1本のドイツワインを飲んだのがそもそもの始まりです。それまではワインはもとより、どんなお酒にも特に興味はなかったのですが、その時飲んだワインのおいしさに衝撃にも似た感動を覚えて、たちまちワインの世界に魅了されていきました。今飲んだら何てことはない、安物ワインだったんですけどね(笑)。
大学3年の時に1年間休学し、バックパック1つでドイツやフランスなどのワインの産地を訪れました。数カ国目の訪問先、ドイツ、ラインガウのトロイチュ・ワイナリーで、オーナーのアーナ・ブジネリ氏と意気投合。この出会いがいずれ自分をワインの「飲み手」から「造り手」へと変える布石になるとは、この時は想像すらしていませんでした。
大学卒業後、ワインは趣味の領域にとどめようといったんは決意して、サラリーマンとして4年間を過ごしました。ただ僕は、興味のあることはとことん突き詰めないと気が済まない性分で、その間もとにかく関連書物を読みあさり、世界各国のワインを買ってきては飲み比べるということに時間とお金を費やしていました。
シドニー総領事館に勤務した4年間は、オセアニアのワインを堪能しました。またこの間に、休暇を利用してニュージーランドを度々訪れ、国内の著名な産地を巡りました。その時に飲んだマーティンボローのピノ・ノワールの味は今でも忘れられません。南半球の小さな国で、こんなに質の高い優秀なワインを造り出せるのか、と感激したものです。
4年間の勤務を終えて一区切りついた時、またワインへの強い思いが頭をもたげてきました。「これほど情熱を傾けたいと思えるものがあるなら、それに人生を賭けてみてもいいんじゃないか」、と。なぜワインを「造る」道を選んだのか、とよく聞かれます。まず、造る立場になれば、ワインを通じてさまざまな「表現」ができると考えたこと。そして、長い年月を費やしても理解し切れないほど奥深いワインの世界に、今度はそれを生み出す側の1人として関わっていきたいと思ったからです。
この国でワインメーカーとして働くことになったきっかけは何だったのですか?
学生時代の旅行中に出会ったブジネリ氏のサポートを受け、ドイツのガーゼンハイム大学で醸造学を学ぼうと決意しました。トロイチュをはじめ、幾つかのワイナリーで、入学の必須条件である1年間の実習を行い、1997年9月にようやく大学生活がスタートしました。当然のことながら授業はすべてドイツ語。10歳も下のクラスメートに交じって必死に学んだあのころは、いま振り返れば本当に充実していたと思います。
3年生になり、そろそろ卒業研究のテーマを考える時期だなと思っていた矢先、教授から「ブドウ種の実験調査を兼ねて、ニュージーランドに行かないか」という願ってもない話が舞い込みました。2年先輩に当たる卒業生が奥さんと一緒にドイツから移住し、マーティンボローでワイナリーを立ち上げたばかりだというのです。もちろん二つ返事で快諾し、あれよあれよという間に念願だったニュージーランド行きが実現しました。
チャレンジ精神旺盛なオーナーのカイも、僕同様、ワイン造りとは全く関係のない一般家庭で育った、無類のワイン好き。中でもピノ・ノワールをこよなく愛し、その産地としてマーティンボローを非常に高く評価しているという点でも、意見が一致しました。おいしいラムローストと秘蔵のニュージーランドワインに舌鼓を打ちながら、毎晩遅くまで将来の夢について語り合いました。正味3週間ほどの短い滞在で得たものは、卒業研究という本来の目的をはるかに上回るものでした。何だか、この先の自分の人生に大きな意味を持つような、そんな予感がしたことを今でもはっきり覚えています。
ドイツに戻って数カ月が経ったころ、彼から「大学を卒業したらニュージーランドに来て、一緒にワイン造りをやらないか」と声が掛かりました。おぼろげながらもずっと胸に秘めてきた「自分のワイナリーを持つ」という夢が、一気に現実味を帯びてきたのです。移住に戸惑いはありませんでしたね。卒業式の4週間後には荷物をまとめ、再びこの地へと戻っていました。
最後に、今後の抱負についてお聞かせください。
現在は、シューベルト・ワインズのアシスタント・ワインメーカーとしてブドウの収穫や醸造作業に携わる傍ら、近くに2ヘクタールほどのブドウ畑をリースし、オリジナルのワイン造りにも挑戦し始めたところです。
世界各国のワイナリーを巡り歩いていたころ、度々「日本人にワインの何が分かる?」という表情をされたことがありました。確かに、ワインを日本の伝統文化というには無理があると思います。僕も物心ついた時からワインをなめて育ったわけでもなければ、父や祖父からワイン造りの哲学を聞かされてきたわけでもない。ワインの世界で伝統や歴史の持つ重みが特別であることは、疑いの余地もありません。そういう点でいえばいわゆる“部外者”の自分でも、ここでなら最高のワインを生み出せるかもしれない。そんな現実味のある夢を見せてくれるのが、ニュージーランドなのです。
ニュージーランドは、ワイン造りという点では「国自体が挑戦者」という気がします。目まいのするような歳月をかけて完成された歴史や伝統が存在しない分、この国は無限の可能性と柔軟性に満ちています。そんな場所で自分が一体どこまでやれるのか、試してみたい。いつかは「ニュージーランドにKUSUDAのワインあり」と言われるような、世界に通じる最高のピノ・ノワールを造ってみたい。壮大な夢に向けてのチャレンジは、まだ始まったばかりです。
(2002年8月17日、オークランド、シェラトンホテルにて)
シューベルト氏が「ピノ・ノワール造りに最も適した土地」と太鼓判を押すマーティンボローに、99年にオープン。初リリースとなった99年物が国外のワイン・コンペティションで次々とメダルを受賞、国内のワイン評論家から「最も注目されるニューカマー・ワイナリーの1つ」として高い評価を受けている。同ワイナリー初のピノ・ノワール、「Pinot Noir 2001」は2003年1月の発売予定。
Schubert Wines Limited
住所:57 Cambridge Rd., Martinborough
Tel:06-306-8505
Fax:06-306-8506
Website:http://www.schubert.co.nz
Hiroyuki Kusuda
くすだ・ひろゆき●1964年、埼玉県生まれ。富士通、シドニー総領事館勤務を経て、かねてからの夢であった「ワイン造り」の道を目指すべく、97年9月ドイツ、ガーゼンハイム大学に入学。2000年3月、卒業研究のためニュージーランド・マーティンボローのシューベルト・ワインズに滞在。オーナーのシューベルト氏に誘われ、2001年5月、家族と共に移住。現在は、国内唯一の日本人ワインメーカーとして「最高のピノ・ノワール」造りに日々いそしんでいる。
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