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Interview vol.10

プロサッカー選手
宮澤 浩さん
プロとして、指導者として、 NZサッカーに貢献したい

(Quarter 2002年春号より)

オセアニアのダイナミックなサッカーに魅了された

 日本からオーストラリア、そしてニュージーランドのプロサッカーチームに移籍するまでのいきさつを教えてください。

ざに大けがを負ってしまい、約1年間プレーすることができず、リハビリ後も試合に出場できない状況が続きました。しかし体を本調子に戻すためにも試合に出る必要があり、早く復帰できないかと焦っていたところに、当時、サンフレッチェのヘッドコーチで、その後オーストラリアのナショナル・サッカー・リーグ(以下NSLに省略)のチームの1つ、キャンベラ・コズモスの監督になったトミー・セルマーニ氏に、「オーストラリアでプレーしないか」と声を掛けられたのです。そこでとりあえず3カ月の契約で、サンフレッチェからのレンタルプレーヤーとして、2000年10月にオーストラリアに渡りました。

 日本を離れ、オーストラリアでプレーして感じたのは、日本のサッカー選手がテクニックで勝負するのに対し、こちらの選手は技よりも体を激しくぶつけ合う、ダイナミックなプレーを得意としていることです。これは僕の性にとても合っています。また長期にわたる海外生活は初めてでしたが、オーストラリアでのゆったりとした暮らしはとても魅力的で、そんな公私共に充実した日々を送っているうちに、レンタルプレーヤーの契約が切れる時期になりました。サンフレッチェに戻る選択肢もありましたが、コズモスのオーナーや監督からチームに残るように強く望まれ、また自分自身もオセアニアのサッカーに魅了され、完全にコズモスに移籍することを決め、新たな一歩を踏み出しました。

 NSLに所属しているチームは現在13チーム。その中にはニュージーランドのフットボール・キングズもあります。僕がコズモスに所属している当時、キングズには、国際サッカー連盟が20世紀のオセアニアを代表する選手として選んだウィントン・ルーファー氏がスタッフとしていました。ジェフ市原時代に2年間一緒にプレーして以来、彼とは家族ぐるみの付き合いをしており、コズモスの遠征試合でニュージーランドを訪れた際、彼がオークランドを案内してくれたことがありました。その時にふと、この街に住みたいな、と思ったのです。2000/2001年のシーズンにコズモスのMVPを獲得したこともあり、同チームとキングズの両チームから次シーズンのオファーを受けましたが、キングズの契約内容がかなり良かったことと、ウィントンへの信頼が決定打となり、キングズに2年間の契約で移籍しました。

キーウィに日本人プレーヤーの実力を見せたい

 フットボール・キングズに移籍してからのこと、また今期の目標をお聞かせ願えますか?

 フットボール・キングズは1999年にできたばかりの、ニュージーランドで唯一のプロサッカーチームです。2000/2001年のデビューシーズンでは、当時15チーム中8位と決して悪くない成績でした。しかし残念なことに、僕が移籍した2001/2002年のシーズンはチームの経営管理がうまく行かず、1シーズン中に監督が3人も替わったこと、またオーストラリアのトップ選手がチームに加入し、ニュージーランド人選手とのチームワークの面でまとまりがなかったことから、結局最下位という結果で終わりました。

 なので今シーズンのキングズの目標は、まずプレイオフ(リーグ6位以内)に入ることですね。現在のチームはほとんどニュージーランド人でまとめられているので、チームワークが強く、今のところ雰囲気はとてもいいですよ。一方、僕は外国人選手であるため、いわゆるチームの助っ人という立場に立たされています。日本でもそうですが、外国人選手はチーム内の同じポジションのどの選手よりも率先力がなければいけない、という目で常に見られていますし、ほかの選手と違ったパフォーマンスを見せなければ、ファンも満足しません。そういう意味で日本でプレーしていた時とは違うプレッシャーがありますね。また僕はNSLでただ1人の日本人選手なので、オセアニアでサッカーをプレーすることに興味を持つ日本人選手から連絡を受けることもあります。

 一サッカー選手としては、入れ替わった3人の監督のうちの1人とうまく行かず、前シーズンの後半は試合に出る機会が少なくなり、キングズのサポーターたちに僕のパフォーマンスを見せられなかったことが心残りです。ニュージーランドではまだまだサッカー人気が高いとはいえないし、特に日本人プレーヤーがどれだけの実力を持っているのか、あまり知られていないので、それを僕が見せていきたいと思っています。

 言葉に関しては、大学時代に独学で英語を習得したのと、サンフレッチェ時代の4年間、スコットランド出身の監督の指導を受けていたので、特に不自由することはありません。キングズのチームメートには日本食を好きな選手が多いので、時々僕の家でホームパーティーをし、すき焼きなどの日本料理を振る舞うなど、プライベートでも交流していますよ。

ニュージーランドの次世代のサッカー選手をサポートする

 これからこの国のサッカーはどのように変わっていくと思いますか?

 ニュージーランドサッカーの長所は“体格の良さ”であり、特にマオリの血を引く選手は、運動能力が高い傾向にありますね。一方、短所は技術が無いこと。それはこの国のサッカー教育の基盤が皆無に等しく、今までに優れた能力を持つ指導者がいなかったからです。そのため、ニュージーランド人選手の多くが、十代のうちに身に付けているべきボールコントロールがうまくできていません。

 そこでニュージーランド・サッカーの第一人者であるウィントンが、ウィナーズ・サッカー・クリニックというサッカースクールを運営し、若い世代の育成に励んでいます。僕自身も日本とオセアニアで約10年間、プロサッカー選手としてのキャリアを積んできて、そこで培った技術や経験を次の世代に伝えていきたいと思い、彼の仕事を手伝っています。キングズがニュージーランドで初めてのプロチームとして3年前にスタートしたことは、この国のサッカー界にとってとても大きな出来事です。これをきっかけに子どもたちがサッカーを始め、この国のサッカー人口が増え、ゆくゆくは国内でプロリーグができれば、と思っています。

 ウィナーズ・サッカー・クリニックは日本でも2002年7月に開校しました。先日もウィントンと共に日本に行き、子どもたちにサッカーの指導を行って来たところです。生徒たちの反応がかなり良かったため、これからも定期的に日本に帰って、指導をする予定です。また、毎年ウィナーズ・サッカー・クリニック主催で、ニュージーランドで行う世界各国の子どもたちを対象とした国際試合、「キーウィ・カップ」に日本のチームも招待したいと思っています。これは幼いうちから他国の選手と試合をすることにより、日本人選手が不得意とする“1対1での競り合い”に勝ち、“ボールへの執着心の薄さ”を克服することに大変役立ちます。また日本以外の国の文化や生活に触れるようにし、多くの日本人が持っている、外国人に対する萎縮心や、言葉に対する壁を取り払うことが可能なことを、子どものうちからぜひ知ってほしいし、その手助けをできればいいですね。

(2002年7月24日、オークランド、パーネルのMink Cafeにて)

Hiroshi Miyazawa

みやざわ・ひろし●1970年11月22日、神奈川県生まれ。Jリーグ発足の年である1993年から、ジェフユナイテッド市原、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)、サンフレッチェ広島でプロサッカー選手として活躍する。2000年にオーストラリアのナショナル・サッカー・リーグのキャンベラ・コズモスに移籍、同チームのシーズンMVPを獲得。現在、オークランドのフットボール・キングズに籍を置く。ディフェンダー。184センチ、79キロ。

この記事は「Quarter 2002年春号(Issue 10)」に掲載されたものです。記載されているデータ・情報は全て掲載時のものとなっております。予めご了承ください。

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