
マオリ特集
Waiho i te toipoto, kaua i te toiroa
―どうか私たちをお互い隔てることなく、ともに歩ませてください―

1996年の来日時、東京の保善高校を訪問なさった。保善高校の生徒たちは毎年女王お膝下のスポーツ施設を利用している ©Hozen High School
王擁立運動。この運動は決して過去の遺物ではない。1966年に即位された歴代初のマオリ女王、テ・アリキヌイ・デイム・テ・アタイランギカアフは散り散りになった人々の心を再び1つに集める重要な役割を担われている。北島のナルアワヒアにあるトゥランガワエワエを拠点とする女王はマオリ人はもちろん、そのほかの人々からも尊敬されている。そんな女王からのメッセージを紹介しよう。
マオリの多くのハプがアオテアロア、つまりニュージーランドに住んでいます。私の一族のハプはナティ・マフタとナティ・コロキで、イウィはワイカトになります。「ワイカト」という名はワイカト川に由来するものです。ワイカト川は私たちの精神性を象徴するもので、いやしを与え、過去には豊富な食糧を提供してくれました。川は単なる「流れる水」でありながら、ワイカト地方全域に住む私の一族と密接な関係があるのです。インドの人たちにとってのガンジス川、エジプトの人たちにとってのナイル川に匹敵すると言えるでしょう。
私の祖先は13世紀にハワイキからアオテアロアにタイヌイという名のワカに乗ってやって来ました。私はそのワカの長、ホトゥロアの直系の子孫です。このワカで遥か遠くから旅してきた人々の子孫をタイヌイ族と言います。タイヌイの子孫でワイカト以外のイウィも多くいます。タイヌイ以外にもハワイキから来たワカは何艘もあり、それらのワカでやって来た人々の子孫もそれぞれのイウィとハプを持っています。
ランガティラ、つまりアオテアロア全土に住むマオリのイウィで最有力の族長たちが1966年5月23日、私の父、コロキ王のお葬式に出席し、父の跡継ぎとして私を選んだのです。すべてのマオリはテ・モトゥ(人々、マオリの人々)として知られています。テ・モトゥのランガティラはおのおのの王、または女王のお葬式に参列し、その席で王位制度を続けるかどうかをみんなで決めます。もし、続けるのであれば、誰をその長にすえるかも決定します。父の死後、そんなわけで私が王位を継ぎました。この王擁立運動というのは1人の王をマオリ人の代表として擁立することに賛成した人々によって起こった運動です。現在は私の一族とワイカト族がテ・モトゥを代表して、王位を持っていますが、昔から決められているように、アオテアロアのほかのイウィにその王位が移ることもあり得ます。
理解度に差こそあるものの、それは私たちの精神性であり、私たちがどこからやって来たかを通して自分たちを取り巻く環境を理解しているということでしょう。ですから、自然界の中にあってこそ、私たちは心安らかでいられるのです。
伝統的に守られてきた団結や環境に対する信条が変化しつつありますが、現在に至るまで、マオリ人は常に結束して生きてきました。もちろん自分たちと違う意見があることも認めています。大切なゴールは、すべての疑問や問題に対して、私たち自身の統一した見解を踏まえて、回答を出すということでしょう。
私たちマオリが必要としているのは、特別な配慮ではありません。しばしば、 人々はマオリが特別な配慮を受けていると解釈しているようですが――この事実は有益というより有害です。
まず最初に必要なのは政府とニュージーランド国民にマオリ文化の精神と真のニーズを「理解」してもらいたいのです。私たちマオリ人にしかマオリの問題は解決できません。しかし、一般的に言って、マオリ人は資金や住宅、教育などといったしっかりしたバッググラウンドが整っていないのは事実です。
問題を解く鍵はアオテアロアの原住民、マオリ人による自決にかかっています――この国の民主的なシステムにのっとって、マオリのための決定はマオリ人が行うということが必要なのです。近年、政府が未解決だった社会的、政治的問題点に取り組んでいるのは喜ばしいことですが。
ニュージーランドを自分の新しい祖国として住む移民に対して何の問題も感じません。むしろ自分の生まれた国を後にし、私たちの土地にやって来た勇気ある人々に、より行き届いた援助が行われるといいと思っています。特に亡命者の人には心から同情するとともにこの国での新しい人生がうまくいくよう祈らずにはいられません。その援助というのは、例えば彼らがこちらに到着した時、もしくはその前にニュージーランドで使われている言語を教えるとか、家探しやショッピングといったニュージーランドで実際役に立つこと、ヒントを教えるということです。マオリの伝統文化については、新しくこの国で暮らし始めた人たちに、寛容と尊敬の念を持って接してもらえれば言うことはないと思っています。特に「尊敬」の精神は日本が世界に教えられることではないでしょうか。
今日、地球全体がさまざまな問題で悩んでいます。このことは古代人によって予見されていました。マオリ人にとっての主な問題は教育、住宅、健康の分野にあります。私たちはニュージーランドにある社会問題の「負」の部分の多くを担ってしまっています。特に健康面での問題が顕著です。
これはいかに生き抜いていくか、そしていかに質の高い生活を送れるかにかかっています。人々には自分たちのリーダーを支援するように奨励しています。そうすれば、彼らはよりよい条件を目指し、政治的、社会的討論の場で話し合いを重ねられるからです。その上、精神的に目覚め、自分たちの問題に対する答えを探求するために、内面の真実に耳を傾ける必要があります。そして子供たちを愛し、いつもそばにいてあげることです――彼らが必要な時に、そして彼らの物事に対する理解を助けるために。
私たちは若い世代を私たちの将来ととらえています。どんなに抑圧されても、どんなに貧しくても、私たちには若い世代につぎ込むための、お金では買うことのできない、あふれんばかりの財産を持っています。
1人の人間として、私たちは自分が関わる人間関係に責任があります。それだけでなく、物理的な自然界、精神的な自然界に対しての関係にも責任があるのです。私たちの伝統では、カウマトゥア、古老が現在、未来の世代に対しての大きな責任を背負っています。どのような場合にも「分かち合う」ということが大切だと思います。
カウマトゥアが代々受け継がれた知識を、お墓に持って入ってしまうのではなく、次の世代に伝えるにはいつがよいのかを知っていると私は信じています。
マオリ人についての私の望みは私たちが人として生き延びることです。トゥプナ(祖先)の教えを守れば、過去に行ってきたことのうちのよいことを完璧な形で残すことができます。マオリ人が精神的な、物理的な、そして知的な可能性に気付き、それらを現実のものにすることができるようになるといいと思います。マオリ人は教育、テクノロジー、商業、工業などの分野に進出し、知的職業に就き、社会の第一線で働くと同時に、よき両親、教師となるに違いありません。マオリ人が神の恩ちょうの中に歩んでいくことを祈っています。知性と精神性の間でバランスをよく取る必要があります。古代の人々が行ってきた習慣は維持されていくでしょう。寛大さと思いやり、正義もまた守られ、ニュージーランド中のすべての人々が幸せで満ち足りること、そしてみんなが仲よく暮らせることを祈っています。これはマオリ人に限ったことではありません。これらが私の願いです。
Haere mai ki to matou whenua ataahua。私たちの美しいこの国にいらっしゃってください。
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